はじめに
消費者理解を起点とするマーケティング活動において、オンラインでの消費者調査は不可欠な羅針盤として機能してきた。その手法はテクノロジーの進化と共に変容を遂げ、特に2020年代に入り、大規模言語モデル(LLM)という新たな技術的潮流が、業界の根幹を揺るがすほどのパラダイムシフトを予感させている。
本稿では、オンライン消費者調査の過去から現在に至るまでの軌跡をデータに基づき概観し、その標準的なワークフローをより詳細に定義する。その上で、LLMが各ワークフローにどのような変革をもたらし、リサーチャーの役割をどう変えていくのかを論じる。最後に、AIによる代替の可能性とその難易度を評価し、業界が迎える未来の姿を展望したい。

第1章:オンラインリサーチ市場の変遷
1.1. 市場規模とインターネット調査の台頭
日本のマーケティングリサーチ市場は、長らく安定した成長を続けてきた。日本マーケティング・リサーチ協会(JMRA)の調査によれば、2017年度に2,147億円だった市場規模は、2022年には2,590億円へと拡大している。この成長を牽引してきたのが、インターネット調査である。
2002年度にはアドホック調査市場のわずか10%(約80億円)に過ぎなかったインターネットリサーチは、時間とコストの削減効果を武器に急成長を遂げ、訪問調査や郵送調査からのシフトを加速させた。その結果、2010年代後半にはアドホック調査の過半数を占めるに至った。
しかし、その成長にも変化の兆しが見える。2021年から2022年にかけて、インターネット調査の成長率は100.5%と伸び悩み、一方でグループインタビューなどを含む既存手法が112.1%と復調した。さらに2023年には、インターネット調査が前年比98.8%とマイナスに転じ、市場全体が停滞する一因となった。これは、単なる量的拡大の時代の終焉と、リアルな接点を求める「揺り戻し」や、より複合的な調査手法への移行を示唆しているのかもしれない。
1.2. 定量調査と定性調査の役割
市場の中心が、量的な傾向を把握する「定量調査」、特にオンラインアンケートであったことは論を俟たない。一方で、消費者の深層心理や行動の背景にある「なぜ」を探る「定性調査」(グループインタビュー、デプスインタビューなど)も、仮説構築やインサイト発見のために重要な役割を担い続けてきた。近年のリアル調査への回帰は、この定性的な理解への価値が再認識されていることの表れとも考えられる。

第2章:現代のオンラインリサーチの構造
2.1. 業界地図と主要プレイヤー
マーケティングリサーチ業界は、売上高20億円未満の企業が8割を占めるなど、多数の中小規模プレイヤーによって構成されている。その中で、プライム市場に上場する
インテージホールディングス、マクロミル、クロス・マーケティンググループの3社が大手として市場を牽引している。

- インテージグループ: 1960年創業の国内最大手。60年以上の歴史で培った信頼性と、SCI®(全国消費者パネル調査)に代表される高品質・大規模なパネルデータが最大の強みである。近年はAIやデータハンドリング技術への投資も積極的で、データ解析力とソリューション提供能力で他をリードする。
- マクロミル: オンラインリサーチで国内トップシェアを誇る。自社・提携合わせて3,600万人規模の広範なパネルネットワークを武器に、年間2万件以上の調査実績を持つ。創業時からリサーチ業務の分業制を導入し、各専門人材の育成による効率性とスピードを強みとする。
- クロス・マーケティンググループ: 国内最大級の1,285万人のパネルネットワークを活用し、年間1万件以上の調査実績を持つ。リサーチ事業を中核としながら、データマーケティングやITソリューションなど事業を多角化し、顧客の課題解決に一気通貫で対応する「総合力」を特徴とする。
これらの大手は、独自の強固なパネル基盤とテクノロジーへの投資を背景に、業界内での存在感を高めている。一方で、こうした大手とは異なるアプローチで市場に新たな価値を提案するスタートアップも登場している。例えば、株式会社マインディアのように、テクノロジーを活用してオンラインでの定性調査をより手軽かつ迅速に実施できるプラットフォームを提供する企業は、従来の時間とコストが課題であった定性調査の民主化を推し進めている。こうした動きは、リサーチ業界におけるイノベーションの新たな潮流となっている。
2.2. オンライン定量調査の標準的ワークフロー
オンライン定量調査、特にインターネットリサーチは、多くのステップを経て実施される。その標準的なワークフローは以下のように分解できる。
- ビジネス課題のヒアリング・要件定義: クライアントが抱える課題を明確にする。
- 調査目的・仮説の設定: 何を明らかにするための調査なのか、その結果どういった仮説が検証できるのかを定義する。
- 調査手法・対象者条件の決定: 調査手法(Webアンケートなど)や対象者の属性(年齢、性別など)を決定する。
- 質問項目の洗い出し: 仮説検証に必要な質問項目を網羅的にリストアップする。
- 調査票ドラフト作成: 洗い出した項目を基に、回答者が答えやすいように質問文や選択肢を構成する。
- 調査票のロジック設計・確認: 特定の回答をした人だけが次の質問に進むといった分岐(スキップロジック)を設計・確認する。
- アンケート画面作成(プログラミング): 調査票をWebアンケートシステム上で動作するようにプログラミングする。
- テスト配信・デバッグ: 画面表示やロジックに誤りがないか、少人数にテスト配信して確認する。
- 本配信・データ収集: 対象者全体にアンケートを配信し、データを回収する。
- データクリーニング・集計: 不誠実な回答や矛盾した回答を除外し、データを集計する。
- 集計表・グラフ作成: 集計結果を基に、クロス集計表やグラフを作成する。
- 分析・考察: データから傾向を読み解き、示唆を導き出す。
- レポート作成・報告: 分析結果をまとめてクライアントに報告する。

2.3. オンライン定性調査の標準的ワークフロー
オンラインでのグループインタビューなどに代表される定性調査は、より人間系のスキルが求められるプロセスで構成され、そのワークフローは以下のように詳細化できる。
- 調査目的・課題の明確化: なぜその調査が必要なのか、核心的な問いを定める。
- 対象者条件の設定(リクルーティング要件定義): どのような経験や価値観を持つ人に話を聞くべきかを詳細に定義する。
- インタビューフローの設計: 対象者から深いインサイトを引き出すための質問の流れや構成を設計する。
- 募集画面の作成: 対象者を募集するための告知ページや文面を作成する。
- スクリーニングアンケートによる対象者選定: 応募者の中から、条件に合致する対象者をアンケートで絞り込む。
- 対象者への参加依頼・調整: 選定された対象者に連絡を取り、インタビューの日時や方法を調整する。
- インタビューの実施・進行(モデレーション): 場の空気を作り、対象者がリラックスして本音を話せるようにインタビューを進行する。
- 録画・録音データの確認: インタビュー内容を後から確認できるように、記録データを確認・整理する。
- 文字起こし・発言録作成: インタビューの発言をすべてテキスト化する。
- 発言内容の構造化・分析: 発言録を読み解き、内容をテーマごとに分類・構造化する。
- インサイト抽出・レポート作成: 分析結果から本質的な示唆(インサイト)を抽出し、レポートにまとめる。

2.4. AI活用リサーチの既存事例(国内・海外)
LLMによる変革を語る上で、すでに国内外でAIを活用してリサーチ業界の課題解決に取り組む企業が登場していることは注目に値する。これらは未来の潮流を占う試金石と言える。
【国内事例】AI活用の動向
- 株式会社マインディア: オンライン定性調査プラットフォームを提供する同社は、インタビュー後の分析工程の自動化にAIを積極的に活用。従来、多大な時間を要した文字起こし作業に加え、長大な発言録から要点を抽出するサマリー作成、さらには分析結果を基にしたレポート作成の自動化にも取り組んでおり、リサーチャーがより本質的なインサイト発見に集中できる環境を構築している。
【海外事例】多様なアプローチで価値を創出
海外では、より多角的なアプローチでAIを活用するプレイヤーが台頭している。
- Quantilope (ドイツ): 「End-to-Endの自動化」を掲げ、調査設計から分析、レポーティングまでの一連のプロセスをAIで自動化するプラットフォームを提供。リサーチの全工程を高速化する。
- Zappi (英国): 「アジャイルな意思決定」を支援。AIベースの調査テンプレートを事前に設計しておくことで、広告や新商品のコンセプトテストといった特定の調査を高速で繰り返し実行できる。
- Remesh (米国): 「大規模定性調査」という新たな領域を開拓。AIモデレーターが数百人規模の参加者とリアルタイムで対話し、その自由回答を瞬時に分析・可視化することで、定性的な深さと定量的な規模感を両立させる。
- Entropik (インド): 「非言語データの活用」に強みを持つ。視線や表情、声色といった感情データをAIで解析し、ユーザーが言葉にしない本音を炙り出す、次世代のUX・広告評価調査を提供する。
- Black Swan Data (英国): 「外部データのインサイト化」に特化。SNSの投稿など、膨大なオープンデータをAIで分析し、消費者の無意識なトピックや未来のトレンドを予測・抽出する。
これらの事例から、AIの活用法は一様ではないことがわかる。国内ではマインディアのようにインタビュー後の分析工程の自動化に注力する動きがある一方、海外ではQuantilopeのように全工程の自動化を目指すプレイヤー、RemeshやEntropikのように定性調査の可能性を拡張するプレイヤー、Black Swan Dataのように新たなデータソースから価値を生むプレイヤーが存在する。この国内外の潮流は、リサーチ業界がAIによって労働集約的な構造から脱却し、より戦略的で高度なインサイトを提供する産業へと進化していく必然性を示している。
第3章:LLMが拓くオンラインリサーチの未来
3.1. ワークフローの自動化と設計例
LLMの登場は、前章で定義したワークフローを単に効率化するだけでなく、その実行プロセス自体を再設計する。ここでは、各ワークフローをLLMで自動化するための具体的な設計思想とプロセスを詳述する。
3.1.1. 定量調査ワークフローの設計例
対象工程:調査票作成からアンケート画面実装まで
- 設計思想: リサーチャーの「意図」を自然言語で受け取り、直接実行可能なアンケートシステム用の設定ファイル(JSON, XML等)を生成する「意図-実行変換(Intent-to-Execution)」モデルを構築する。
- 具体的なプロセス:
- 入力(リサーチャーの意図): 「30代男性会社員を対象に、缶コーヒーの飲用習慣に関する調査を行いたい。頻度、購入場所、重視点を聴取し、週1回未満のライトユーザーには、その理由を深掘りする質問を追加してほしい」といった自然言語での指示。
- LLMによる処理(思考連鎖):
- エンティティ抽出: LLMはまず指示を分解し、[対象者: 30代男性会社員]、[テーマ: 缶コーヒー]、[聴取項目: 頻度, 場所, 重視点]、[条件分岐: 週1回未満→理由深掘り]といった構成要素を抽出する。
- 質問生成: 各聴取項目に基づき、具体的な質問文と選択肢を生成する。「Q1. あなたは普段、どのくらいの頻度で缶コーヒーを飲みますか? (SA) 1. 毎日 2. 週に4-5回… 6. 飲まない」
- ロジックの定式化: 自然言語のロジックを、システムが解釈可能な形式
{"condition": "Q1.answer == 6", "action": "show_question", "target": "Q1_follow_up"}
に変換する。
- 出力(実行可能な設定ファイル): 全ての質問とロジックを構造化データ(例:JSON)として出力する。このファイルをアンケートシステムにインポートするだけで、テスト可能な画面が即座に構築される。
対象工程:分析とレポーティング
- 設計思想: 「データ分析エージェント」と「レポーティングエージェント」を連携させるマルチエージェントシステムを構築し、データ投入からレポートドラフト作成までをパイプライン化する。
- 具体的なプロセス:
- 入力: 回収済みのアンケートデータ(CSV形式)と、「男女別の購入ブランドランキングと、年代別の飲用頻度の違いに焦点を当てたレポートを作成せよ」という指示。
- データ分析エージェントの実行:
- Code Interpreter機能を持つLLMが、Python(pandas, matplotlib)コードを生成・実行する。
- クロス集計(性別×ブランド、年代×頻度)を行い、統計的に有意な差があるかを検定する。
- 結果を可視化するためのグラフ(棒グラフ、円グラフ等)を生成する。
- レポーティングエージェントの実行:
- 分析エージェントから出力された集計表やグラフデータを読み込む。
- LLMがそのデータを解釈し、「30代では『毎日飲む』層が45%を占める一方、50代では20%に留まり、健康志向の高まりが示唆される」といったインサイトのテキスト記述を生成する。
- 事前に定義されたレポートテンプレートに沿って、タイトル、サマリー、各グラフとそれに対応する考察を自動で配置し、PowerPointやWord形式のドラフトを生成する。
3.1.2. 定性調査ワークフローの設計例
対象工程:インタビューフローの設計
- 設計思想: 優れたモデレーターの思考プロセスを模倣する「ペルソナプロンプティング」を活用し、質の高いインタビューフローのたたき台を生成する。
- 具体的なプロセス:
- 入力: 調査企画書(調査背景、目的、対象者プロファイルなど)。
- LLMへの指示(ペルソナ設定): 「あなたは20年の経験を持つベテランモデレーターです。以下の調査企画書に基づき、60分のデプスインタビューのフローを作成してください。導入のアイスブレイクから始め、対象者の生活実態、カテゴリ関与、そして本題の製品評価へと自然に移行する流れを意識してください。各質問には、その質問で何を引き出したいのかという『狙い』も併記すること。」
- 出力: 時間配分、具体的な質問例、質問の狙いが明記された、構造化されたインタビューフローが出力される。これにより、リサーチャーはゼロから考えるのではなく、AIが生成した質の高いドラフトを基に、より戦略的な調整に集中できる。
対象工程:発言録の構造化と分析
- 設計思想: 長大な非構造テキストである発言録を、多段階のLLM処理(パイプライン)を通じて、構造化されたインサイトデータへと変換する。
- 具体的なプロセス:
- 入力: インタビューのフルテキスト発言録。
- 第1段階(セグメンテーション&要約): LLMが発言録を意味のあるトピック単位(例:「自己紹介」「普段の食生活」「製品Aの第一印象」)に分割し、各セグメントを簡潔に要約する。
- 第2段階(コード化&ラベリング): 別のLLMが、各発言に対して「ポジティブな感情」「価格への不満」「競合製品Bへの言及」といった分析コード(ラベル)を付与していく。
- 第3段階(テーマ抽出): 全ての発言録に付与されたコード群をクラスタリングし、「パッケージの高級感が購入の決め手」「後味の悪さがリピートを阻害」といった、複数の発言を横断する共通のインサイトテーマを抽出する。
出力: 重要な発言、それに対応する分析コード、そして抽出されたインサイトテーマが一覧化された分析サマリー。マーケティング担当者がAIに最も期待する「分析・インサイト抽出」を直接的に支援するアウトプットとなる。
3.2. AIによる代替の難易度評価
LLMは万能ではない。詳細化されたワークフローの各ステップをAIが代替する難易度には明確な差が存在する。
定量調査

難易度 | ワークフローのステップ | 理由・具体例 |
高 | ビジネス課題のヒアリング・要件定義 分析・考察 | クライアントの暗黙的なニーズを汲み取り、ビジネス全体の文脈を理解した上で、データの裏にある本質的な意味を解釈し、戦略的な示唆を導き出す能力は、依然として高度な人間的知性が不可欠。 |
中 | 調査目的・仮説の設定 調査票のロジック設計・確認 レポート作成・報告 | LLMは優れたドラフトを生成できるが、最終的な妥当性の判断や、クライアントの特性に合わせた微調整、説得力のあるストーリーテリングには人間の介入が必要。特に複雑なロジックの最終確認は重要。 |
低 | 調査手法・対象者条件の決定 質問項目の洗い出し 調査票ドラフト作成 アンケート画面作成 テスト配信・デバッグ 本配信・データ収集 データクリーニング・集計 集計表・グラフ作成 | 明確なルールやパターンに基づいており、自動化との親和性が非常に高い領域。調査票作成から画面作成までの自動化はすでに実用化が進んでいる。データ処理や集計も大半が自動化可能。 |
定性調査

難易度 | ワークフローのステップ | 理由・具体例 |
高 | 調査目的・課題の明確化 インタビューの実施・進行(モデレーション) インサイト抽出・レポート作成 | モデレーションは、相手の非言語的サイン(表情、声色)を読み取り、信頼関係を築き、予期せぬ発言を深掘りする共感性と即興性が求められ、AIによる完全な代替は最も困難。ただし、「AIモデレーター」のような、構造化されたヒアリングを自動化するサービスも登場し始めており、部分的な活用は進む可能性がある。 インサイト抽出は、複数の発言の断片を繋ぎ合わせ、背景にある文化や価値観までを洞察する飛躍的な思考を要するため、難易度が高い。 |
中 | 対象者条件の設定 発言内容の構造化・分析 | LLMはペルソナ定義の支援や、発言録の分類・タグ付けは高精度に行える。しかし、その分類が調査目的に対して本当に意味のあるものか、どの分析軸が重要かを見極める最終判断は人間に委ねられる。 |
低 | インタビューフローの設計 募集画面の作成 スクリーニングアンケートによる対象者選定 対象者への参加依頼・調整 録画・録音データの確認 文字起こし・発言録作成 | 目的や条件が明確であれば、LLMは高品質なドラフト作成や、単純な事務作業、音声のテキスト化を高効率に実行できる。これらは最も早期にAIに置き換わる領域となる。 |
結論
オンライン消費者調査の世界は、LLMという強力な触媒を得て、今まさに大きな化学反応の渦中にある。市場の成長は踊り場を迎え、プレイヤーは新たな付加価値の創出を迫られている。この状況下で、AIは脅威ではなく、リサーチの価値を再定義するための強力なパートナーとなるだろう。
調査票のプログラミング、文字起こし、自由回答の分類、レポートのドラフト作成といった、これまで多大な時間を要した定型的かつ労働集約的なタスクは、今後急速にAIに代替されていく。その結果、リサーチャーの役割は、AIを使いこなす「オペレーター」から、AIでは代替不可能な領域、すなわち「問いを立てる力(課題設定・調査企画)」「人の心を引き出す力(モデレーション)」「意味を見出す力(インサイト発見と戦略提言)」へと明確にシフトする。
未来のリサーチは、AIが生成した膨大な分析結果の「点」を、経験豊かなリサーチャーがビジネス文脈に沿って結びつけ、価値ある「線」や「面」として描き出す、人間とAIの協働作業となるだろう。この変革に適応し、人間ならではの価値を磨き上げた者だけが、次世代のマーケティングリサーチをリードしていくに違いない。

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